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「猫ごよみの猫たち」について

 昔から動物には好かれる自信はあるが、できるだけ淡い関係を保つようにしている。人間もそうだが育った環境は明らかに顔や目つきに反映される。のら猫の人を信用しない疑わしげな目つきが好きだ。子猫や家猫はもの足りない。
 「猫ごよみの猫たち」では、毎月の写真について撮影場所やエピソードなどを紹介するとともに、あらたな写真も公開していきたいと思います。
(文・写真 熊谷 泰)



表紙のイラストと写真 -七曲坂 庚申塔の黒茶猫-

七曲坂 庚申塔の黒茶猫

七曲坂 庚申塔の黒茶猫

 表紙のイラストは、1978年頃に自宅の部屋にこっそり引き入れたのら猫をスケッチしたものだ。のら猫は、家の反対側にある兄の部屋にも顔を出しているようだった。時々やってきては、膝の上で丸くなったりベッドの上で寝たりした。極度の興奮状態で、獲物のキジバトを見せに窓から入ってきたこともある。夜になると一緒に寝て、おなかの上に猫の重さを感じた。2週間くらいで来なくなってしまい、猫嫌いの母が追っ払ったのではないかと疑った。
 目白台地の南側は坂道が多い。そのひとつである七曲坂の途中、中学校の運動場の角に、庚申塔が置かれた小さな空き地がある。庚申塔には元禄三庚午(1690)と刻まれている。芭蕉が奥の細道の旅から帰った翌年だ。1月の冬の日の昼下がり、黒茶の猫が数匹、庚申塔のまわりにたむろしていた。餌をあげる人がいるらしい。庚申塔の前には、装飾を施した石の台に南天の実や菊らしき花が供えられている。
 七曲坂を登れば、閑静な住宅地があり、そこを抜けると目白通りに出る。坂を下れば神田川に突き当たり、まわりは印刷会社や工場が立ち並ぶ。近くには江戸時代に将軍家が鷹狩りや猪狩りをしたおとめ(御留)山公園やぼたんで有名な薬王院がある。坂道や曲がった道(蛇道)の散歩は、次の景色への期待に胸がふくらむ。
 庚申塔の黒茶猫を撮って6年経った11月の秋晴れの日に、久しぶりに七曲坂を訪れた。景色は変わっていなかったが、猫は見当たらなかった。庚申塔の前に立って、「最近はほんとにのら猫が減ったね」と連れと話していると、後ろの笹藪から何やらがさごそ音が聞こえる。驚いてのぞき込むと、笹藪にすっぽりと身を隠した黒猫がこちらを見ている。何かほっと安心して、黒猫を驚かさないように庚申塔から離れた。



2018年12月 -打越天神北野神社の猫-

打越天神北野神社の猫

打越天神北野神社の猫

 都心ではコンクリートで打ち固められた神社が増える中、この神社は昔ながらの子供の遊び場の風情を残している。拝殿、本殿と小さな稲荷社があり、まわりを武蔵野の雑木林、クヌギやシデ、コナラなどの雑木が取り囲んでいる。地面は南から北に向かって緩やかな登りの傾斜をなしており、冬は落ち葉やドングリに覆われている。のら猫たちにとってはとても居心地の良い場所らしく、暑い夏の日には、本殿の縁側に寝そべって木陰のうたた寝をむさぼり、寒い冬の日には、掃き寄せられたいちょうの落ち葉の中に丸く蹲って餌やりの人を待っている。
 写真の太ったキジ毛の猫は、手水舎の屋根の下、木彫り装飾の凹みにしっくりと頭を嵌め込んで、秋の昼下がりを過ごしている。のら猫のくせにやけに栄養の良いこのキジ毛猫は、夏は水のない石の手水鉢にすっぽりはまって涼んだり、拝殿の縁側でお尻の毛繕いをしようとして、大きなお腹のせいで後ろにごろんとひっくり返ったりして、随分笑わせてくれた。
 数年前の8月のある日、拝殿の前の地面に、脚が悪いカラスの子がいたことがあった。拝殿のそばのシデの木の高いところにワイヤーハンガーで作った巣があり、落ちたところをのら猫たちに狙われたのかもしれない。動物病院に連れて行かなければとあわてたが、水飲み茶碗が近くに置いてあり、どうやら近所の人に世話をしてもらって生き延びているようだ。近所の子供には「カアコ」と呼ばれている。後日、脚が悪くて枝を摑めないながらも樹上で鳴いていたり、サンドイッチをもらって食べているカアコを見た。
 そんな北野神社も、最近はすっかりのら猫を見なくなった。以前は、夕方5時頃になると自転車でやってきて、てきぱきと仕事をこなすように餌やりをしていた女性たちも見なくなった。のら猫のいない神社は何かもの足りない。





2019年1月 -解け残りの雪と縁側猫-

解け残りの雪と縁側猫

解け残りの雪と縁側猫

 若い頃、埼玉県のアパートの一階に住んでいた時、北側の窓を開けると、すぐ目の前に広い芝生のある家があった。娘二人と父親で暮らしているらしく、小柄で引き締まった美しい姿の、ココという名の黒猫を飼っていた。ココシャネルから取ったという。黒猫はまだ好奇心旺盛な若猫だったので、朝起きると我が家の南側のベランダにはいり込んで、プランターの前にちょこんと座っていたりした。ある日、玄関の扉を開けたまま前の駐車場にいると、ココが家の中に入っていくのが見えた。怖くてたまらないけれど、どうしても入ってみないではいられないという様子で、そーっと家の中に入っていったのだ。しばらくすると、急に慌てふためいて足を滑らせながら玄関から逃げて行った。後で見ると風呂場のふたの上に足跡が残っていた。
 その頃、カミンという会社の、投稿写真で作った日めくりカレンダー「猫めくり」が流行っていた。北側の窓から、目の前にある物置の屋根に乗っているココの写真を撮って応募したところ、初めて選ばれて家内と二人で喜んだ。今調べてみると、カミンの猫めくりは1987年から発売され、2014年に倒産するまで続いたようだ。生活や風景の中の猫たちの姿やしぐさが面白かった。当初は白黒印刷だったが2004年にはカラー印刷になり、次第に猫がアップの構図が増え、つまらなくなって買わなくなってしまった。
 1月の縁側猫は、そんな黒猫ココの家の、広い芝生の庭に面した濡れ縁で毛繕いするキジ白毛ののら猫である。2001年1月の撮影なので、まだ「猫めくり」を使っていた頃だが、ココがその時いたかどうかは記憶にない。解け残った縁側の雪の上に白い和毛(にこげ)の後脚を投げ出して毛繕いにはげむ姿は、自分の脚の白さと雪の白さを比べてみてくれと言わんばかりだ。

カミン「猫めくり」(1994年が筆者投稿写真)



2019年2月 -埼玉のもしゃもしゃ猫-

埼玉のもしゃもしゃ猫

埼玉のもしゃもしゃ猫

 埼玉県に15年住んでいる間、週末には随分散歩をしたものだ。今日は東西南北どっちに行こうか、気分次第で選んでは足が棒になるまで歩いた。市街地や住宅地の小路、畑や田んぼ、川沿いの道をあてもなく歩いては、季節の移り変わり、面白い建物や神社仏閣、のら猫との出会いを楽しんだ。
 2月の毛長のペルシャ猫らしきもしゃもしゃ猫も、そうした散歩で出会ったのら猫である。2月の晴れた日、咲き出した梅の花やオオイヌノフグリの小さな青い花の写真を撮ったりしながら、いつもの線路際の小道を歩いた。小さな踏切を渡り、柿の木畑の中に火の見櫓が立つ角を過ぎたあたりでもしゃもしゃ猫を見つけた。血統書が付くほどのペルシャ猫がなぜのら猫になったかわからぬが、長い毛が毛繕いに不便なのか、体のあちこちに落ち葉をくっつけている。のら猫のいかにも「人間なんか信用できるか」というのではないおだやかな顔つきで、向こうからあいさつにやってきた。



2019年3月 -盛岡寺町の水仙猫-

盛岡寺町の水仙猫

盛岡寺町の水仙猫

 岩手県盛岡市に、寺が多く集まっている寺町とも呼べる場所がある。5月の連休にちょっと変わった柄の猫と出会った。体は白毛だが、顔だけが黒灰色のまだらで耳の内側が黒っぽい。まるで硯の墨に顔を突っ込んだ白猫のようだ。よく見ると体も少し灰色がかっているようで、シャム猫の血を引いているのかもしれない。まわりの水仙の花の白や、猫の手前にある発泡スチロールの白と、色が重なっている。すぐ近くの門前の無人販売所では水仙の束を100円で売っていた。その中には黄水仙(キズイセン)や喇叭水仙(ラッパズイセン)もある。
 5月には、盛岡だけでなく秋田県でも水仙の群落を多く見る。道路沿いや家の庭、空き地、神社の境内、川沿いの土手など到る所に咲いている。こうした風景を見ると、子供の頃に住んでいた家近くもこんなだったような気がして、とても懐かしく思う。実家は東京の郊外だったが、学校への行き帰りの道端に、水仙の群落があったように思う。先日、90を過ぎて実家に一人で住む母に真偽をたしかめようと聞いたところ、「そうかしら、水仙は日本の花じゃないのよ」と当てが外れてしまった。
 水仙は地中海沿岸が原産で、シルクロードを経て中国にはいり、平安時代末期に日本にやってきたらしい。温暖な海沿いの場所を好むと言うが、秋田県でもこれだけ広がっているのは、日本の気候に適しているからなのだろうか。水仙はヒガンバナ科の植物で、田んぼの畦をモグラやネズミから守るために植えられたというヒガンバナと同様に有毒で、群落の様子も似ている。あるいはヒガンバナと同じ目的で球根が植えられて広がったのだろうか。
 昭和40年代のはじめ、花屋さんには今のように品種改良された多種多様な花はなかったであろう。その頃、東京の郊外では道路は今のように舗装されておらず、学校の帰り道には大きな水溜まりで遊んだものだ。水仙は身近な鑑賞用の花として家の庭に植えられ道端に広がっていったのかもしれない。



2019年4月 -ギボウシと眠り猫-

ギボウシと眠り猫

ギボウシと眠り猫

 秋田では、いつも花の色や緑の鮮やかさに驚かされる。空気が澄んでいて紫外線が強くあたると、花や葉の色素の合成が促進され、色が濃くなる。増えた色素が紫外線をより多く吸収して、生体のDNAが損傷するのを防ぐためらしい。人間の肌の色と同じしくみだ。
 4月は、秋田県大仙市にあるパスタ屋さんの植え込みで眠る白茶猫と、色鮮やかなギボウシの葉である。ギボウシの名は、橋の欄干などに飾りとして付けられている擬宝珠(ぎぼし)に、この花のつぼみが似ているからと言う。鎌倉時代に書かれた問答体の語源探索エッセイとも言うべき「塵袋」の「草 鳥」の分類に次の文章がある。
 一 葱花ト云フハキノハナカ
 キノハナヽリ。又ハヒラキハシラトモヨム。ハシノカウランノハシニ(橋の高欄の端に)キホウシト云物也。其ノ姿キノハナ(葱の花)ニニ(似)タレハ也。
 昔、ネギのことはキと呼んだ。キノハナとは今で言うネギ坊主のことである。何のことはない。橋の欄干のぎぼし(擬宝珠)、きほうし(葱法師の意味か?)は、ネギ坊主そのままを言った言葉だったに違いない。果たして植物のギボウシの名前が、擬宝珠を想って付けられたのか、葱法師(ネギ坊主)を想って付けられたのかは定かでない。擬宝珠と比べるとネギ坊主に似ていないような気もする。
 ギボウシは、江戸時代に観賞用として多くの栽培品種が作られ、かのシーボルトがヨーロッパに持ち帰り欧米でも広がった。英名はホスタHostaで、金色や白色の縁取りや斑入りや葉の波打ちなど美しい葉を楽しむ。
 ある年のこと、東北新幹線で東京に帰る際、どこからだったか東京全体が丸くうっすら白い雲のようなものに覆われているのを見たことがある。あまりに多い人間の活動で紫外線が遮られ、東京で秋田のような色鮮やかな花や緑を見ることはできない。

左:ギボウシ(秋田県大仙市角間川)、右:ぎぼし(滋賀県東近江市太郎坊宮)



2019年5月 -磐城塙 安楽寺の猫-

磐城塙 安楽寺の猫

磐城塙 安楽寺の猫

 水郡線は、茨城県の水戸と福島県の郡山を結ぶ非電化の単線だ。八溝山地の東側を北から南に流れる久慈川に沿って走る。南端の水戸の近くでは、その久慈川と八溝山地の西側を流れてきた那珂川との間の美しい田園地帯を走る。このあたりには、瓜連(うりづら)・静(しず)・常陸大宮と、何やらゆかりがありそうな、旅心を誘う駅名が続く。
 ある年の5月、連休を利用して水郡線の旅をした。ちょうど田植えの時期で、田んぼに水を引く用水路では蛙が鳴き、麦畑では雉が見え隠れし、山ではツツジが咲き誇っていた。水郡線が福島県に入り、しばらくすると磐城塙(いわきはなわ)駅に着く。駅から程近い山際にある羽黒山安楽寺へと登る石段は、水郡線のガードをくぐった線路際から始まる。
 石段を登り始めると、その猫はすぐに現れた。キジトラ柄の若猫で、青みがかった石段を軽快に登ってゆく。石段の途中にある山門を過ぎ、気持ち良さそうに寝そべっている登山者の脇をすり抜ける。時折こちらを振り返り、追いつくのを待っている。シャガの花が咲く石段脇の冷たそうな水の流れを飛び越え、さらに近くの畑を走り抜けてゆく。草陰から見つめる好奇心いっぱいの丸い眼は、疑いに満ちた野良猫のものではなく、さわやかな五月の山の新緑によく似合った。
 石段を登り切ったお寺の敷地には、穏やかな顔をした釈尊の石仏が建っていた。

左:登山者の脇をすり抜けるキジトラ猫、右:十四世上人開眼の釈尊石仏



2019年6月 -ドクダミを嗅ぐ猫-

ドクダミを嗅ぐ猫

ドクダミを嗅ぐ猫

 古びて錆びた鉄の門扉の向こうに、一匹のしま猫が座っている。家につづく道は裸の土のままで、湿ったような暗がりの中に白いドクダミの花が咲いている。しま猫は鉄格子のあいだで、まるでドクダミの香りを嗅いでいるような顔をしている。
 今年(2019年)は5月も半ばを過ぎると、美しい曲線の輪郭をしたドクダミの葉が、道端のいたるところに目立つようになった。やがて、錆色のようにも見える赤紫色に縁取られた濃い緑の葉の間に、清楚に細く尖った白い蕾や、目に沁みるような白さの四弁の花が咲き出した。もっともこの四弁は、花弁(花びら)でもなく萼(がく)でもなく、植物学では総苞(そうほう)と呼ばれる葉が変形したものらしい。四弁の真ん中にある黄色っぽい穂状のものが小さな花の集まりだが、小さな花はそれぞれ雌しべを取り囲む3本の雄しべから構成されていて花びらはない。白い4枚の総苞は虫たちを花に導く役目という。しかし雄しべに花粉がなく受粉の必要がないドクダミに、なぜ虫を導く必要があるのだろうか?生き物の仕組みは複雑でむずかしい。
 子供の頃、体の具合が悪い時には、葛湯を食べさせられ、薄茶色の液体を飲まされたものだ。あれはドクダミだったかゲンノショウコだったか記憶にない。ドクダミはたくましい生命力で道端に繁茂する雑草だが、雨の中、暗がりで咲く花の白さと葉の深い緑のコントラストの美しさは際立っていて大好きな植物のひとつだ。

ドクダミの花と葉

ドクダミの花と葉

2019年7月 -象潟 坩満寺の猫-

象潟 坩満寺の猫

象潟 坩満寺の猫

 七月は、秋田県の象潟にある坩満寺(かんまんじ)の拝観受付所の屋根で、八月の暑さをしのぐ猫である。坩満寺は、芭蕉の「奥の細道」に干満珠寺として登場する。
 「この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影映りて江にあり。」
 芭蕉が訪れた頃、坩満寺は象潟の入江に浮かぶ多くの小島のひとつだったが、1804年の大地震で土地が隆起し、今は田んぼの中に小山が浮かぶ景観となった。
 初めて坩満寺を訪れた時、田んぼの中の小道から寺にはいってしまい、拝観受付所も通らず拝観料も払わずじまいだった。林の中に立つ山門へのアプローチは美しく、自然のままの境内はのびのびとしていて、有名な観光地にしては人が少なく、何度訪れても飽きない。
 ここの住職さんは猫好きらしく、いつもたくさんの猫がいる。初めて来た時には、コテツと呼ばれる猫が鐘楼に登ろうとして叱られていた。

坩満寺の拝観受付所

坩満寺の拝観受付所

2019年8月 -紅葉山公園の猫-

紅葉山公園の猫

紅葉山公園の猫

 紅葉山公園は、JR中央線車両基地である中野電車区の南にある。この公園は1970年に東京開都100年記念事業の一環として整備されたという。名の通り園内は起伏に富み、10年近く前までは野良猫がたくさんいて、路上生活者が、誰かが作った猫の家のそばで、野良猫たちと交流している風景も見られた。
 2019年の現在、紅葉山公園だけでなく、近所の神社や小路でも、めっきり野良猫の数が減って、散歩の楽しみが半減してしまった。紅葉山公園では、2007年から2010年にかけて、54匹の成猫がいて翌年には29匹の子猫が生まれたらしい。ボランティアで野良猫の不妊手術をする人がいて、すべての猫の不妊手術を2010年に終えたという。あらたな捨て猫・家出猫が住み着かない限り、不妊手術をした猫が死んでしまえば野良猫がいなくなるのは当たり前のことだ。
 昨今の、野良猫や鳩への餌やりに対する社会的・ご近所的批判の風潮、一方、自治体の犬猫殺処分ゼロ宣言など、一見成熟した大人の社会を目指しているようでいて、実は問題の本質に向かい合う機会を失うことによって、幼稚で寛容でない、文化程度の低い社会になっていないか。野良猫を見る機会が減ると同時に、路上生活者を目にすることも減ってきた。

紅葉山公園 昭和21年製SL(C-11)と野良猫

紅葉山公園 昭和21年製SL(C-11)と野良猫

2019年9月 -近所の角猫-

近所の角(かど)猫

近所の角(かど)猫

 昔は店をやっていたのであろうか。近所の家の角(かど)によく座っているので角(かど)猫と呼ぶようになった。歳を取っているせいなのか温和な三毛猫で、買い物帰りにテティッシュペーパーの箱をいたずらで背中に乗せても、驚きもしなければ怖がりもしなかった。古びて傷だらけの焦げ茶色の木の引き戸と、中にかかった格子縞の寸足らずのカーテンの色と三毛の柄がよく似合っている。
 猫は、風景の中で自分がどこに居れば周囲と調和がとれるかを、まるで知っているかのようだ。これまでそんな猫をたくさん見てきた。猫に言わせれば、ただいちばん居心地が良いところにいるだけだと言うかもしれない。 そんな風景を見せてくれたこの家も今はない。

近所の角(かど)猫2

近所の角(かど)猫2

2019年10月 -格子戸とまだら猫-

格子戸とまだら猫

格子戸とまだら猫

 8月の猫の紅葉山公園から東に下る急な坂道がある。細いらせん状の道で、途中に何やら横溝正史のドラマに出てきそうな、由緒ありげな姓名の表札のかかった古い和風の家があった。下りきると平地となり、城山公園という公園がある。ここは、野方台地の端で、南側には今では暗渠になっている桃園川や谷戸川が流れ、神田川に合流していた。中世には堀江氏という豪族の城郭があったという。明治33年から大正13年までは、東京府立農事試験場があった。
 格子戸の前のまだら猫は、この急坂を下りきったところにいた。急な傾斜地に建った家の裏口とおぼしき格子戸と、まだら猫の色柄がよく似合っていた。
 目の前の城山公園には大きなスズカケノキがあり、秋になると丸い鈴のような実が目につくようになる。公園のトイレの近くには、アカメガシワの老木が立っている。アカメガシワは、更地にされた地面にいち早く生えてくるパイオニアツリーで、新しい家が建つ場所では、文字通りのきれいな赤い芽がよく見られる。しかしパイオニアツリーで成長が早いかわりに、衰えも早く寿命が短いらしい。これだけ太い幹の老木はあまり見たことがない。 まだら猫のいた家も、つい最近、建て直しなのか取り壊されてしまった。

城山公園のアカメガシワ老木-8月(脇に生えているのは若木)

城山公園のアカメガシワ老木-8月(脇に生えているのは若木)

2019年11月 -稲藁の猫たち-

稲藁の猫たち

稲藁の猫たち

 埼玉県の荒川近く、一面の田んぼの中を通る幹線道路脇に積み上げられた稲藁の上に、二匹の猫が冬の日を浴びて気持ち良さそうに寝そべっている。傍らには小菊が色を添えている。
 猫好きなら誰でも知っていることだが、猫は季節に応じて気持ちの良い過ごしやすい場所を見つける名人である。夏は古い家の柿の木の葉陰になる二階の出窓で、風が通る粗い鉄格子の上に寝そべったり、冬は家の外の給湯器の小さな面積に丸くなってうずくまって座っていたり、微笑んでしまうような思いがけない場所で見つけることもよくある。
 路上の猫たちは、気持ちよく過ごしよいだけではなく、周囲との調和を考えて座る場所を選んでいるように思えることもある。それは、路上のマンホールの蓋の真ん中であったり、公園のベンチの端っこであったり、空き地に捨てられた古じゅうたんの上であったりする。
 都会の猫は、稲藁を見つけることができないので、谷中の南泉寺の猫のように茣蓙(ござ)で代用することになる。

谷中 南泉寺の猫

谷中 南泉寺の猫

2019年12月 -柚子と日だまり猫-

柚子と日だまり猫

柚子と日だまり猫

 実家の客間から見える庭に小ぶりな柚子の木がある。小ぶりながらたくさんの実をならす。柚子の実の下で冬の日射しを浴びてたたずんでいる半野良の猫である。和毛(にこげ)が日に光ってあたたかそうだ。
  十二月になると柑橘類の果実があちこちで目に付くようになる。ユズ、キンカン、ミカン、名も知らない大きなザボンかブンタンのような緑の大きな実。いずれも常緑樹なので濃い緑と果実の色合いが美しい。ミカンはメジロやヒヨドリの大好物だが、ユズやキンカンも熟したものはつつくこともあるのだろうか?
  ところで、猫は柑橘系の香りが苦手らしい。猫を飼ったことがないので実地に確認したことはないのだが、不朽の名作猫漫画、小林まことの「ホワッツマイケル」で知った。柑橘系果実の皮に含まれるリモネンという香りの成分が猫にとっては毒になるためらしい。
 この日だまり猫にとって、柚子の香りは気にならないのだろうか。

柚子と日だまり猫(続き)

柚子と日だまり猫(続き)